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2005年05月27日

今、ここへの集中

 ストレスとは自分にとって好きでないこと、良い心地がしない、うまく思うようにいかないことによる理由が大半であり、それは家庭のこと、仕事のこと、周囲との付き合いのこと、気候や環境など更には、未来に対する見えないことに対する不安など、自身を取り巻く全ての環境に起因する。避けられるものなら避け、解決しなければならないことは解決するしかない。

 好きなことや避けて通れるなら問題はないが、そうでないことに対してはその問題に素直に力を入れず、向き合いその本質を見極めて対応する。コツはそのこと以外には脇目をふらず、そのことと一つになる。それには一つには必ずできるという自己暗示をかける。あるいは、一体になる体質を普段の生活で培う。

 即ち歩く時は歩くだけ。食べる時は食べるだけ。景色を見る時は見るだけ。歩きながら食べる、食べながらテレビを見るなど同時に2つ以上のことをしない意識と行動をすることで培われる。その際、好きだ嫌いだ、おいしい、まずいなど考えを巡らさない。思量しないことがコツである。

五月の連休に禅寺で体得したことがそれである。

投稿者 noguchi : 15:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月24日

緩急と集中力

 長時間同じ仕事に対峙していると、だんだんと疲れが出てそれ以上続けるとダラけてしまい勝ちである。又、それだからと言って目先を変えて異なった仕事に変えても疲れた後からでは返って身が入らない。そこに緩急が必要となる。即ちしばらく集中して疲れを感じたら、ひと時休む。休むとはポケーとして何もしない。

 集中とは今、ここ一瞬の集中の連続であり、肩に力が入らず、そのことと一つになる。即ち我を忘れる。それだけになる。これを三昧の境地というが、そういう場合は疲れをも忘れ、経ってから心地良い疲れを感じる。しかし、心地良い疲れであっても生身の人間である限り心は疲れなくとも集中していると、神経や肉体には力が入り歪みが出てこれが元の正常な状況に戻らないと次なる緊張を伴う仕事に対して集中しにくくなってくる。

 疲れはその時々に、又は一昼夜で翌日に残さぬことが原則であるが、同じような仕事の場合はどうしてもマンネリに陥り勝ちとなる。

投稿者 noguchi : 08:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月18日

緩急のすすめ

 五月の連休以来、今日まで長い間休暇をいただき、日記をお休みさせていただきましたことを読者の皆様にお詫び申し上げます。連休を利用して心の修養と休息を兼ねてこのような長期間仕事から一切離れたことは社会に出てから64歳の今日まで初めてのことで、人生を考え直す意味で大変貴重な体験ができました。今日まで何をやるにしても企業経営に携わる者として長期間仕事を空けることに罪の意識があり、まさしく日本人的仕事人間であった感がしております。
 西欧社会では1ヶ月程の長期のヴァケーションを取る人が多く、その間何もせず、閑に浸る、日本人であれば長期でもせいぜい一週間その間遊びにスポーツ、観光や読書といったひと時もボケーっとしない民族とを比較すると、常に何かに追われ、心に余裕やゆとりを持たないテンション民族が生まれ、欧米のような爆発的な瞬発力やとらわれない自由な発想が出にくい構造になっていることが実感されます。

 緩急の大切さがもっと認識されなければならない時代ではないでしょうか。

投稿者 noguchi : 15:01 | コメント (1) | トラックバック