【医療法人正峰会】 兵庫県西脇市
大山病院 一般 199床 介護老人保健施設「さんなん桜の里」76床
「アザレア舞鶴」150床、「フローラルヴィラ垂水」100床
ロシアとの交流を通じて医療支援を行う。
野口:本日は医療法人正峰会 理事長の大山正先生にお話を伺います「良き医療は良い経営から」「良き経営は良き医療から」と常に言っておりますが、これは絶対の真実であると思いますが、これをしっかりやられている、病院を開設して関連施設を拡げて経営されている意図と言いますか、「なぜ」を教えてください。
大山:なぜこの地でやっているかというと、ここは私の故郷だからです。そして、なぜ病院かと言いますと、私は外科医です。ですから手術をして患者さんを早く治してあげたいと思いまして病院をやっています。
まず、平成5年に55床の病院を始めました。なぜ、55床かというと資金的、人的な問題もあって1病棟55床の病院を開設しました。1病棟というのは限界がありまして、1つの病棟に整形の患者さんも、外科の患者さんも内科の患者さんもいるというのは治療する方も治療される方も難しいのですね。また、人を集めるのも1病棟の小さい病院ではなかなか難しいです。救急もやって頑張っていたんですが、平成5年の頃はまだ患者さんの年齢層が若かったんですね。高齢者の施設もでき始めていましたがそれほど多くありませんでした。それがだんだん高齢者が増えてきて治療が終わってもすぐに家に帰れないという人が出てきました。そこで枠があったので、ここから車で10分くらいの所に老人保健施設を開設しました。
その後、1病棟では良い医療ができないということで110床、2病棟の病院を開設しました。でも、2病棟でも良い十分な治療ができないし、特に医師を始めとした職員の確保も難しいんです。医師の確保も施設の規模と設備が必要です。医療圏について行政にも何回か尋ねてベッドの制限枠に余裕がないかと聞きました。そして3回目に尋ねたときに、100床余裕があるということで、199床(4病棟)にしました。
4病棟になるとそれまでと全く違って高機能な治療ができるようになってきて、そうしますと医師を始めとする職員も確保しやすいというのがありますね、ホームページを見て応募してくる医師もありますし、新卒の看護師も集まります。あのまま1病棟でやっていたら、それ以上の発展は難しかったと思います。
野口:先生初代でしょう? えらいですね。
大山:いえいえ、そんなことはないんですが、今ではやる気のある職員も増えましたし、病院に誇りを感じてくれている気がしています。
野口:そうするとスイスイスイときた気もしますが・・・ 。
大山:いえいえ、そうでもないですが、なかなか職員の間がうまくいかないこともありました。それはやはり、病棟が1つであると人間関係も難しいんですね。
野口:ああ、逃げ場がないんですね。
大山:そうですね。そこで、分裂とか起こってくるんですね。
野口:そうですか。それも一つあると思いますが、本当に辛かった事、あるいはやって良かったという嬉しかった事はありますか。
大山:つらかった事はやはり「人」ですね。人の確保が十分できなくて、自分が全てやらなくてはならない。なかなか経営者と同じ気持ちになってくれる職員がいない時は難しかったですね。ひとりで頑張る時というのは、今から考えてもあの時は辛かったです。
野口:今、中小病院では医師不足、看護師不足がひどくて自分が当直を週に2回もやらなくてはならないような状況の病院が多い中で、先生のところは人を確保してそれも生き生きとよくやっておられる・・
大山:そうですね。それもやはり、それなりの施設とそれなりの規模があってそれなりの患者さんに来ていただけるということがあるからだと思います。そこにやりがいがあるんだと思います。
野口:時代が変わってもし、生まれかわってもう一度仕事をやるとなったら、やはり病院をやる、それも今のやり方でしょうか。失敗したとかはなくて、精一杯やられたということでしょうか。
大山:一番はじめからこの規模でやるのはなかなかと難しいと思います。一代でいきなりというのは、そうするとやはり徐々に規模を大きくしてゆくという我々の法人がたどった道をたどることになると思います。
野口:その方が堅実ですし、自信も徐々についてきますし万全ですね。 嬉しかった事はなんでしょうか。
大山:嬉しかった事はやはり、それなりの数の患者さんに来ていただける病院になったということですね。ここは交通の便が良くないです。そこへわざわざ来ていただけるというのは嬉しいことですね。
野口:それと先生のところは老健、特養、グループホームと多くの施設を展開されていますけれども、今後についてはどうでしょうか。
大山:そうですね・・。僕は先生の開催する病院経営塾へ勉強しに行きましたね。外科医というのは単純な男なんですね。
塾で教えていただいた「常に誕生してから生成発展を目指す。そうでなければ必ず衰退する。そのためには常に変化し、新しいことを目指さないといけないと思いました。積極的に展開してゆきたいと思いますね。
野口:どちらかと言うと今日の医療機関は守りの経営で、国がこちらの方向へ行っているからこちらになびくといったような厚労省の施策に追随するところが非常に多いんですけれども、それでは本当にいい経営はできませんね。守りも必要ですけれども、攻めも必要ですね。
大山:うちは社会医療法人になりましたが、まぁ個の部分を捨てて組織が存続すると、それを一番の目標にする、働いている人が困らないように。誇りを持てるような組織にしてゆきたいと思います。
野口:よく中小病院は一族とか家族経営になっていますけれどもその中でよく社会医療法人にしたという事は大変なことですね。よくされましたね。
これからの先生の人生のロマンと言いますか、終着駅というのは何ですか?
大山:僕はあと数年はがんばりたいと思うんですけれども、2〜3年のうちに息子に任せてですね。ベトナムへ行って来た話をしたと思うんですけれども、引退後はベトナムに病院を作りたいと思っています。
野口:すばらしい。
大山:それは社会貢献ですけれども、その夢をなんとか実現したいと思っています。
野口:後継者もその理念を引き継がれて、引き続いて発展されることを願っております。3年後くらいですね。。
大山:まだ、長男は帰って来ていないんですけど、同じ外科医なんですが今はまだ私は頑張れますので本人の希望する事を精一杯やらせたいと思っています。
野口:そうですか。本日はどうもありがとうございました。
(医)正峰会 大山病院 Webサイト
http://www.seihoukai.com/ohyama/
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