医療法に「医療は営利を目的として経営してはならない」と規定されている。そのために医療を行って利益が出てもそれを配当してはならないと謳われている。今日まで問題となっていた医療法人における出資金に対する限度を設けない、いわゆる持分の定めある社団医療法人が解散時や出資者が退社した場合、あるいは解散時に出資金を持分の応じて処分することが、配当金の後払いと考えられるので、見直されることはけだし当然のことであろう。
【非営利と利益】
しかし、よく陥る職員の利益に対する認識や庶民の医療法人に対する医業による利益を悪とするアレルギー意識は払拭されなければならない。要は稼ぎ出した利益をどう使うかが問題視されるのであり、より良い医療を実現するための再投資に使われるのであれば、むしろ賞賛されなければならない。
企業生存30年といわれる一般企業においては、利益の処分はまず、企業が存続する上での再生産のための先行投資(人材、設備、情報に対する)、従業員の生活向上、次に役員報酬と続くのである。
そして、忘れてはならないことは利益の配分の前に税金という社会貢献をしているのであり、その為に利益を上げて所得番付に載る企業は優良企業という名誉を与えられるのである。
翻って、医療機関が所得番付に載れば顰蹙(ひんしゅく)を買うのはオーナーや一族へ利益の大半が吸い取られるケースが多いと見られているからである。
一般企業は営利を目的としていると言われるのは株主等の出資者が出資金に対してより多くの利益を配当という形で得ようとするところに帰するが、しかし直接経営に携わる経営陣はいかに消費者に役立つ優れた商品を提供し続け、その結果存続を許されるのであり、結果として利益がもたらされるのであって利益追求の目的が最初にあるのではない。
又、医療は他産業と異なりことさら貴い仕事であり、公的であるから大きく社会貢献しているので税金をかけるのはおかしいと思うのは大きな間違いである。
どんな職業にも貴賎はなく、世の中に不必要な企業は存在が許されず、どんなに利益を出しても、社会貢献からはずれた企業はライブドアに限らず淘汰されるのが世の習いである。
【布施と医療経営】
道元禅師は六波羅蜜の巻で「布施というは不貪なり。不貪というは世の中にへつらわざるなり。治世産業もとより布施にあらざることなし。」と示している。
動植物鉱物すべて存在する物は何一つ不要なものはない。バイ菌や寄生虫、今日恐れられているエイズや鳥インフルエンザにしても大宇宙の意志により送り込まれたもので、人間同様お互いに役立つ共生や気づきを与えるために存在するのである。
布施とは貪らない、すなわち見返りを求めて行うのではない。ただ、人のお役に立ち喜んでいただく。その度合いで人は感謝し、布施した企業を結果として成り立たせてくれる。
西欧のボランティアはキリストとの契約の元で施すことで罪から救われるものであるが、布施は人間の純真な真心から発するもので強制されるものではない。
どんな仕事や事業も真心から発して、人のお役に立つものならば布施であり、貴賎はない。むしろこの仕事を天(又は神や仏)から与えられた命すなわち、天命や天職と腹に落ちた経営者には途中で横道にそれさえしなければ、あるべきようになるのである。
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