碧厳録に出てくる公案であり、百丈懐海にある僧が「如何なる
か是れ奇特の事」と問うたことに対して答えた言葉である。質
問の要点は「禅にはどのような利益や霊験あらかたなものがあ
るのか」ということであるが、百丈和尚は「私が今、ここの大
雄山に独り坐っていることよ」と答えた。これはただ一人、ぼ
んやりと坐っていることではなく、坐っている私そのものが尊
く、私がこうして今ここに居ることが絶対 すなわち全宇宙、
全時間 全空間と私が一体、すなわち「悟り」の境地である。
転じてこのありのままの実相に自信をもって堂々と生きる、そ
れは今ここにこうして生きていること自体が素晴らしい 尊く
有難いことだとさとしている。一つのこと(仕事)に対峙して
いる時はそれに一体になり切るのが悟りの境地である。
もっと良い仕事はないか、もっと楽なことはないか、早く終わ
らせようなどと心の矢印が外に向かってやっていると不完全な
結果を招いたり、ミスを犯すことにつながる。
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