これは無門関第41則にある大変難解な公案である。インドから
中国へ仏教伝道の為に来た達磨大師に弟子入りしようとした慧
可がなかなか入門を許されない。そこで慧可は覚悟して左腕を
切ってその決心を示し、遂に入室を許されたのであるが、或る
時彼は「私は不安で仕方がない。私の心を安心させて下さい。」
と教えを師に問うた。それに対し師は「その悩んでいる心とや
らいうものをここに持って来なさい。そうすればお前のために
その心を安心させてあげよう。」と答えた。ところで彼はその
不安な心を探すがどこにも見当たらない。師はそこで心が無け
ればその心が悩むという悩みも無いのだから、お前のために私
は心を安じてあげたよ。」と諭した。
私たちは常に未来の出来事や人間関係に不安を覚え悩む。そし
て堂堂巡りを繰り返す。ヘタな考え休むに似たりで考えるなら
徹底して考え、不安の原因を極める。悩んでいる原因がはっき
りしてくればそれに対して果敢に全身全霊で行動する。大抵の
ことはこれで型がつく。問題から逃げたのでは問題はいつまで
も追いかけて来る。忙しさにまぎれて自分を失うというのは自
己を忘れる、換言すれば自我がなくなることではない。ただや
みくもに行動すれば良いということでもない。爽快感より疲労
感が残り返って悩む。そもそも不安で結果悩むということはそ
のことに心がとらわれて発想に柔軟性が失われる結果、本来の
良い知恵の出口が閉ざされる。そうならないためには発想を柔
軟にする。例えばピンチも見方を変えればチャンスになる。こ
の問題を解決すれば誰にもできない大きな成功を勝ち得ること
になる。
虎穴に入らずんば孤児を得ずの如く勇気が湧くものである。
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