正法眼蔵の坐禅蔵に示された言葉で照らすものと照らされるも
の(縁)との対立がない、例えば水面に映る月は水と月に分か
れているのではなく月と一体となしている。先生と生徒、親と
子、医師と患者とても同じである。先生は生徒に教え、医師は
患者を指導し活かす。しかしこれは反面、先生も親も医師も生
徒や子供や患者があってこそ自らが成長し学ぶ、換言すれば生
徒や子供、患者から教えられているともいえよう。
これを別な表現にすれば回互不回互であり、それぞれは関係し
合っているが、それぞれが単独で機能している状態を言ってい
る。自己の照らす働きと受ける他者とが融通し合っているので
あるが、照の時は照ばかり、縁の時は縁ばかりの働きであり、
その時自己は照になり切って縁のことを考える隙間もない。
医師が患者さんを診ている時、検査や手術をしている時はそれ
になり切っている時は自分の疲れやつらさを感じることなく、
終わったあとでやり切ったという爽快感と満足だけが残るもの
である。
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