碧巌録第人則に「一隻眼を具する者は、ある時は一本の葦をも
って丈六の全仏となし、ある時は丈六の全仏をもって草となす」
とある。大意は一本の草にも眩いばかりの光明を放つ六尺の大
きな(偉大な)仏がいることを迷える人達に気づかせる力のあ
る仏者を一隻眼のある人と言っている。
一隻眼とは通常2つの眼の他にもう一つ頂門眼といって頭の頂
についている眼をいい、それは一切の事物を知恵をもってその
本質を見ることができる。仏教では肉眼(通常の目)天眼(未
来を予知する目)慧眼(一切の真理を見極める眼)法眼(大宇
宙の道理に沿って真実を照らす眼)仏眼(仏心で融通無碑に真
実を照見する眼)を五眼と称し、一隻眼は五眼の働きを全て備
えているもので、このような覚者になるにはかなりの修行が必
要であるが、何事にも一つの事を極めた人、一芸に秀でた人に
は一隻眼を備えた人が多い。
但しその上に更に修行を積まないとそれはすぐ色あせてしまう
ものである。
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