無門関第29則にある公案で、或る日たまたま旗が風にゆれて
いるのを見た二人の僧が、一人は「旗が動いた」と言い、もう
一人は「いや風が動いたのだ」と言い張り、決着が着かない。
そこに六祖恵能禅師が通りかかり、二人の議論を聞き、「風が
動いたのでもないし、また旗が動いたのでもない。お前達の心
が動いたのだ」と言って立ち去った。我々の生活や仕事の中で
はあちら立てればこちら立たず、自分にとってどちらが有利か
不利か、損か得かをはかって振り回され、心が迷う。討論や弁
論の場でもディベートという欧米の手法で攻守立場を替えて黒
を白と言い争うことにも通じる。
つまるところ我見(自分の凝り固まった既成概念)やエゴ(自
分の都合)で物事をみると本質を外れて間違ってしまう。旗が
なければ、又 風がなければこの動きを捉えられない。
旗と風が一体になって、旗が風が共同して今、ここに動いてい
る旗(一如)と見ている自分が一体となって理屈抜きで、ある
がままを感じることが大切である。
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