道元禅師は現成公案の巻に「・・・人の死ぬる時、更に生と
ならず、しがあるを生の死になるとならざるは仏法の定まれる
ならいなり、この故に不生という。死の生にならざる法輪の定
まれる仏転なり。この故に不滅という。生もひと時の位なり。
死もひとときの位なり・・・。」
普通、我々は今生きているのに死刑執行を待つ人のようにいつ
死がやってくるのか、また死んだ生はどこへ行くかと思い悩み、
心ここにあらず、今ここに生きている真実をおろそかにしがち
である。死の時は一所懸命死と対峙すれば良いのであって、生
の時は生そのものになり切って生き生きと生き、生かされるこ
とが仏の心であり、仏の命そのものである。仏の命、いただい
た身体を大切に、ということは仏の命を全うすることである。
自身の持つ本来の自己の願い(医師であれば人の命を救う)に
命を懸ける。人は誰でも与えられた1日24時間ただ食って寝てク
ソをするだけでは決して心の満足は得られるものではない。
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