無門関第37則に記されているこの公案の大意は、趙州和尚に
弟子が「如何なるか粗師西来意」と問うたところ、師は庭前の
柏樹子と答えた。その本意は何か答えよというものである。
租師とはインドで禅を継いだ釈迦から数えて第28祖である。
達磨大師がインドか西の中国へ渡って来たのは禅の真髄を伝え
るがためであるが、その本質はあるがまま、今ここの命を心の
底にドーンと落ちる、悟ることである。それは目の前の庭に聳
え立つ柏樹子(びゃくしん)である。柏樹子でなくても目前に
あるそのままの実相ならツツジであろうが何でも構わない。
このような質問に対して柏樹子とは何だろうと言葉や文字の分
析をしたのではそのものの命を失ってしまう。理屈ではない、
柏樹子と自分が一体、今にそのものになり切る、そして天地の
大宇宙が一体と感じることである。
戻る
|