無門関第21則の公案で老師の雲門文偃に弟子の僧が「仏とは」
と問うたところ、それは乾いた糞かきベラと答えた。仏という
大変清浄なものに対して敢えて汚いとされるクソベラを例えた
のには訳があるのである。
我々は対象物を説明したり意義づけする場合、すぐ相対的に汚
い、きれい、大きい、小さい、多い、少ないなど二元的、対立
的に思考するクセがついている。クソは肥やしになったり、動
物、バクテリアに対しては素晴らしい住みかや栄養物ともなる。
近年文化的で便利な生活のために清潔過剰や環境制御で返って
人間の環境に対する耐性を弱め、免疫力を低下させ、運動不足
やストレスも加わって生活習慣病を来たしてしまっている。
物事を大宇宙、自然原理でみるならば無常(常に変化する)無
自性(きれい、汚いは人間が身勝手に決めつけているが、他か
らみれば多くの可能性を秘めた実相である)であり、仏性であ
る。このような絶対感を持つことが平和や真の豊かさをもたら
すものである。
※タイトルの「乾糞けつ」のケツは木ヘンに厥という漢字です
が、文字コード表にこの字がありませんので、ひらがなで表記
させていただきました。
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