メールマガジン【医師のための禅】

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《 医師のための禅 》
その74
2005.10.24

 〜見性成仏(けんじょうじょうぶつ)〜
    
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    禅宗では流派を問わず自己に本来備わっている真実(実相)
   の本性を悟って仏の境涯に到達することを言い、見仏とか見
   性悟道とも言っている。仏とはいろいろな意味に用いられる
   が、ここでは悟った人を指す。
 
    仏とはその他に仏教の開祖釈迦牟尼仏 悟りを形に現した
   阿弥陀仏、如来、菩薩、明王、夫など礼拝の対象となる像を
   指すこともある。死者や慈悲深い人、転じてお人好しまで展
   開されるが本質からははずれていってしまう。
 
    人は修行(坐禅やお経をあげるだけでなく、仕事やボラン
   テイアなどそのものを極めることも修行)すれば誰でもひと
   とき見性に到達することはあるが、そのひとときの悟りはや
   やもすると又迷いに落ちる。それ故に人は生きている限り常
   に修行を積まなければ元の木阿弥に転じてしまう。
 
   他人を理解しようとか対象の本質を見抜こうとするならば、
   まず己の本性を知ることが早道である。すなわち道元禅師の
   言う「自己を習うというは自己を忘れるなり。自己を忘るる
   というは万法に証せらるるなり」である。

 

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