永い間、医療福祉経営は国から厚く保護されていたが、国家財政、国際競争力、超高齢化などへの対応に待ったなしの状況に追い込まれ、ついに聖域なき改革の元に補助金行政の段階的縮小から廃止へ、国民の自立、自助努力と自己責任へと急速なカジの切り替えが行われ、もう後戻りはないと覚悟をせねばならなくなった。
この急激な改革に対して、全国的な医師の不足や看護士の不足が医療側から叫ばれても、ここ5〜10年後、病院数や病床の削減という半強制的な自然淘汰により不足はないと突き放され、又介護療養病床や医療療養病床の他介護施設の転換や有料老人ホームへの転換を促されているにもかかわらず、相も変わらず補助金を当てにした今後の国の施策への横様ながめといった医療機関がいかに多いか、未だに行政の支援や規制の緩和への依存体質は変わっていない。
歴史的に見れば我国が戦後大企業や大財閥の解体、通産省指導による護送船団、金融や農漁業の規制撤廃と外国への門戸解放、弁護士、会計士、建築士等国家資格の門戸解放へと進み、今や聖域とされた医師、看護士やコメディカルの殻が破られようとしている状況にある。医療経営はもはや国も自治体も又、金融機関や医師会や諸団体も助けてはくれない。
経営は経営者自らの才覚とそれに賛同するしっかりとした職員達とで守るしかない。優良な企業はすべからく商売の相手とするお客さんをことさら大切にし続け、己の企業の技術やサービス力を磨き続けることで地域から国、世界へと活躍の場を拡げているのであり、直接お客さんからお金をいただいているところである。
商いの鉄則は医療のような補助金や健康保険、介護保険等の公費価格に依存するところではなく、価格は自分で決める(当然ライバルや周辺の状況、地域の所得を勘案して)ものである。今後、医療は混合診療、自費診療、予防医療、介護など本物を求める受診者の要求に適確に答えているところが生存を許される。その時代はすぐそこに来ているといえよう。
道元禅師は現成公案の巻で「仏道をならうは自己をなるなり。自己をならうというは自己を忘るるなり。自己を忘るるというは万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは自己の身心および他己の身心を脱落せしむるなり」と示されている。本物の医療・医道を知りたければ、まず経営者自身の本性、ロマンを知ることである。本性を知りたければ自我(自分の欲から出た身勝手な願いや損得勘定などをはかる考え)を棄てて、本性から発する本来の自己実現を願う自分に帰ることである。そうすれば、自然と地域や患者さん達、自院の従業員、金融機関や出入りの業者などあらゆる者達から自院をバックアップしてあらしめてくれるようになり、ひいては自院と患者さんや地域の人達もお互いにこだわりのない本当の信頼関係、一体感が生まれるものである。
“今 便利は将来 不便”と考え、利益の一部を保険点数に乗らない予防や代替医療のサービスに振り向け、実践してゆくことが求められている時代である。